『hair and makeup artist ヤマグチノリアキ』
18歳の時に上京、昼間はM.B.PROJECTで美容師見習い、夜は夜間美容専門学校に通う。美容学校卒業後、「mod’s hair」入社、青山店、プランタン銀座店、ラフォーレ原宿店にて美容師時代を送る。或る日、mod’s hairにいた先輩にティーン誌のヘアメイクのアシスタントを頼まれて同行したのだが、ポニーテールひとつも出来ない自分に愕然(当時サロンではセットをやっていなかった為。しかもポニーテールは実際とても難しい。)。それなりに自負があった自分にはショックが大きく(ポニーテールひとつ出来ない自分て何なんだ?)と、一転ヘアメイクを目指す様になる。
その後、多少の紆余曲折を経て、ヘアメイクのフリー集団「New York Project」所属。代表の須賀勇介氏(ダイアナ・ロスのヘアや黒柳徹子さんの”タマネギヘア”の発案者)亡き後、同agencyは解散、フリーランスとして独立。雑誌・広告・東コレでのヘアメイクを始め、ミュージシャン、タレント等のヘアメイクに携わっている。また、カットのみだが、パーソナルヘアスタイリスト(美容師)としても活動中。
ヘアメイクアップアーティストの故・宮森隆行さんにはとてもお世話になった。”裏ESPER”と呼ばれる位、東コレ等の仕事に誘って頂いた。(ESPERは、当時、宮森さんが主宰していたヘアメイクエージェンシー。)或る事で悩んでいる時、何も話していないのに的確なひと言をくれた尊敬するヘアメイクアップアーティスト。
works履歴
オリンパス(海外・国内)/オリエンタルランド/きもの友禅/きものやまと/テスコム/コカコーラ/JCB/ジョンソン&ジョンソン/ディズニーランド/ディノス/高島屋/ファイザー/松坂屋/松屋/泉里香/井川遥/押切もえ/クレモンティーヌ/シェリー/佐々木希/パリスヒルトン/山口もえ/杉浦太陽(敬称略)
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『photographer joel』
20代後半の頃、写真には興味はあったが、自ら撮る事にはそんなに興味はなかった。ただ、或る日、作品撮りで自分も撮らせてもらった所、思い描いた写真が撮れてしまった事があった。それから積極的に作品撮りをする様になり、写真好きが徐々に加速。某アーティストのライブツアーにヘアメイクとして帯同中、ライブ撮影をさせてもらった時、それが純粋に気に入られ、媒体等で使ってもらう様になった。繋がりとかバックボーンとか一切関係無く、まず撮った写真が評価された事がとても嬉しかった。そういう実力世界で自分を試したくて、より没頭する様になった。
いわゆる”師匠”はいないが、カメラを始めるキッカケとなった人はmod’s hairの先輩でもある七種諭さん。(ヘアメイク@Paris→写真家→アートディクレクター)七種さんの作品を観なかったら、カメラを始めようとは一切思わなかった。始めた頃はデジタルカメラどころかパソコンも普及していなかったので、スタートは”BIG MINI”、”OLYMPUS μ”だった。それからNIKONの銀塩→CANONデジタルへ。最近はまた銀塩に戻ろうかなとも思っている。
元々人物しか撮って来なかったが、現在も人物専門の写真家として活動中。(ヘアメイクと両方一緒に受ける事が多い。)自分にとって写真を撮る=絵を描(えが)くこと。ひとつの絵として飾れる様な写真を撮る事を旨としている。
名前はjoel(ジョルと読む)。ビリージョエルのjoelと同じなので、ジョエルとも呼ばれている。ちなみにjoelは20代の頃のnickname。海外用の作品では、「螭龍」(ちりゅう)と言う名を使用している。
To me,photography is the same as drawing pictures.
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『graphic artist 雪篭(ゆきかご)』
2017年よりグラフィックアーティストとして活動開始。写真では表現出来ない事が表現したくてグラフィックアートを始める。昔から「絵や写真の飾ってある部屋に住む。」のが夢だった。アートと共にある生活を提案して行きたい。
モチーフは猫。2016年12月まで一緒に過ごした猫、たんたんがキッカケ。(交通事故に遭っていた所を保護。)見つけた時、背骨が露出する程の大怪我で半身不随になってしまったが、7年もの間元気に我が家で過ごした。向こうに逝ったらまた一緒に暮らせるといいなと思う。
販売はこちら→雪篭@creema
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『好きな言葉』
“It’s now or never.”
“盲亀の浮木、優曇華の花”